企業の経営において「賃金」は単なる給与支払いの手段ではなく、組織運営の信頼性や法令順守を示す重要な要素です。とくに起業直後の段階では、労働基準法に基づく「賃金の5原則」を理解し、適切な対応をとることが求められます。本記事では、賃金の基本的な考え方とともに、起業家が押さえるべき運用上の注意点について解説します。
賃金の5原則とは何か
労働基準法で定められた基本ルール
「賃金の5原則」とは、労働基準法第24条を中心に規定されている、労働者に賃金を支払う際の基本的なルールです。これは労働者の生活を保護するために設けられており、雇用者が恣意的に賃金支払を操作できないようになっています。
以下の表は、賃金の5原則とその内容を簡潔に整理したものです。
| 原則 | 内容の概要 |
|---|---|
| 通貨払いの原則 | 賃金は現金(日本円)で支払う必要がある |
| 直接払いの原則 | 労働者本人に直接支払わなければならない |
| 全額払いの原則 | 賃金は天引き等を除いて全額支払う必要がある |
| 毎月1回以上の原則 | 毎月少なくとも1回は一定の期日に支払う必要がある |
| 一定期日払いの原則 | 給与日はあらかじめ決められた日に支払うことが必要 |
これらは企業規模に関わらずすべての事業者に適用される原則です。したがって、スタートアップや小規模事業者であっても、この5原則を遵守することが法的に求められます。
起業家が見落としがちな運用上の注意点
現代的な賃金支払方法と通貨払いの原則
現金主義の時代からデジタル決済が当たり前となった現代では、「通貨払いの原則」とのバランスに悩む起業家も多いでしょう。実際には、労働者が書面で同意すれば、銀行振込での支払いが可能です。重要なのは、形式だけでなく「本人の自由意思による合意」があることです。
たとえば以下のような事例では、原則が破られてしまうリスクが生じます。
- 法人口座への振込を強制している
- 現金支払いと振込を選ばせない
- 賃金の一部をポイント制で還元している
これらは、本人の同意がない場合や制度設計が不十分な場合に違法とされる可能性があります。
「全額払い」違反につながる控除に要注意
賃金からの天引きには、法的根拠が必要です。例えば以下のような控除は、就業規則に明記し、労使協定の締結があって初めて合法となります。
- 社宅費用や制服代
- 社員食堂の利用料金
- 遅刻や欠勤の罰金(ただし原則禁止)
また、労働者が同意していない罰金的な控除や、不透明な差し引きも「全額払いの原則」に反する可能性があります。起業初期の段階では就業規則の整備が後回しになりがちですが、これが未整備のまま控除を行うと重大なトラブルに発展しかねません。
実務で見落とされやすい支払いタイミングの原則
「毎月1回以上かつ一定期日」の意味とは
賃金は「毎月1回以上」「一定期日」に支払う必要があります。これは支払いの安定性を確保し、労働者の生活基盤を守るための制度です。起業直後の経営者の中には、資金繰りが厳しく、支払い日をずらしたいと考える方もいますが、これは法的に認められません。
以下のようなケースでは「一定期日払いの原則」に反するリスクがあります。
- 給与日が毎月変動している
- 業績により支払いが後ろ倒しになる
- 外注や副業扱いで給与払いを避けている
こうした対応は短期的には経費負担を抑えられても、従業員との信頼関係を損ない、労働トラブルの火種となるおそれがあります。
起業家が取るべき対応と備え
まずは賃金規定と支払体制の明文化を
賃金の支払方法や控除項目、支払日を明確にすることが、賃金トラブルを防ぐ第一歩です。以下のような対策を講じることが推奨されます。
- 就業規則および賃金規程の作成と社内周知
- 労使協定の締結(控除項目がある場合)
- 銀行振込を使用する場合は書面同意の取得
さらに、クラウド型の給与計算ツールや外部の社労士の活用も、法令遵守のための有効な手段です。
労働基準監督署からの是正勧告に備える
万が一、従業員との間で賃金トラブルが発生し、労働基準監督署に申告された場合、企業は是正勧告を受ける可能性があります。悪質な場合は送検や企業名の公表といった行政処分もありえます。
そのような事態を防ぐためにも、日頃から以下の2点を意識した運営が求められます。
- いつ誰にいくら支払ったかを記録に残す
- 控除や遅配が発生した場合は記録と説明の用意を整える
これらの基本ができていれば、外部からの監査や調査が入っても、適切に対応できます。
まとめ
賃金の5原則は、どれも起業家にとって見逃せない法的ルールです。事業を拡大していくうえで、労働者との信頼関係を築くことは、企業の成長基盤を支える重要な要素となります。
正しい知識を持ち、賃金に関する制度をしっかり整備することが、安定した経営の第一歩です。これから事業を軌道に乗せようとする起業家こそ、今のうちから「賃金の5原則」に対する理解を深めておくべきでしょう。


